しんとれいのワインな日々

健康に気をつけつつ、飲んだくれてます

祇園祭に行ってきました

れいです。


関西でのお祭りを制覇すべく、今日は京都で行われている祇園祭へ出かけてきました。
お祭りの名前はもちろん聞いたことがありますが、どんな祭りかは正直イメージできていませんでした。ので、新聞の特集記事や京都市観光協会のホームページなどで軽く予習(笑)。


まずは四条通へ。地下鉄四条駅からあがって最初に見たのが…、


函谷鉾(かんこぼこ)です。
ネット情報によると…「鉾の名は中国戦国時代(前四〇三〜二二一)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃れたと言う故事にちなんでつけられている」だそうです。


さらに続いて、


月鉾です。
こちらもネット情報によると…、「鉾頭には、18金の三日月、鉾の屋根鬼板部分には三本足の烏(ヤタガラス:神話では太陽の使いとされている)、屋根下の破風部分は時計草などの細密な金具彫刻で覆われ、破風中央下には、左甚五郎作といわれる“うさぎ”の彫り物、屋根裏には、江戸中期を代表する画家、円山応挙作の“金地彩色草花図”、天井裏には、岩城清右衛門作“源氏物語五十四帖扇面散図”、前掛けは、17世紀インドムガール王朝時代の「メダリオン緞通」、見送りは皆川月華作“黎明図”、また天水引には、円山応震下絵の“霊獣図刺繍”等々、見ごたえのある装飾品で飾られています」


うーむ、そこまでちゃんと見ていなかったよぉ…。


続いては、

菊水鉾です。
こちらは、「謡曲「菊慈童」から着想された鉾。魏の文帝の勅使が薬水を訪ねて山に入ったところ、甘菊の葉に滴った露を飲んで七百年生き続けている少年に出会ったという。昭和28年に昭和の鉾として復興。鉾頭には天に向いた金色の十六菊をつけている。鉾の名は町内にあった名水「菊水井戸」にちなんで名付けられた」だそうです。

 

こちらでは、拝観券を買って、鉾に上がらせてもらいました!! ちまきと呼ばれる縁起物を購入すると上がれます。(余談ですが…。ちまきは食べるものではありません。5月の節句のちまきそのものですが…。茅の輪のようなものだそうで、玄関の上の方に飾っておくそうです。食べて帰るつもりでした…。)



ちなみに、ちまきはこういうものです。食べ物じゃあありませんね…。



さらに占出山を回って…、



四条通に戻って、長刀(なぎなた)鉾です。こちらも大きい…。
こちらの鉾は、「鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児の乗るのも今ではこの鉾だけである。真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779〜1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀〜18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した」


とにかく人の数がすごい…。大通りを避けて帰ります。


裏の道には、保昌山がありました。


さて、大阪まで帰りましょう。

京都駅では改札もこんな感じでした。


今年は150年ぶりに再興された大船鉾が目玉のようですが、日程の都合上、断念。来年、リベンジしましょう。